整体と自己治癒力3

こんばんは。整体処せせらぎです。


自己治癒力の話の続きです。


前回までの内容をまとめると、

・身体の要求に従う=身体に心地よいことをする=自己治癒力を高める

・頭の要求に従う=頭に心地よいことをする=自己治癒力が低下する


さらに話を先に進めますと、

「自己治癒力を高めるというのは、突き詰めて言えば、生命を維持し生き永らえること、そのものです。」

そして

「自己治癒力を高め、生命を維持することは、気持ちよく感じるように出来ているのです。」

逆に言えば

「気持ち良くない生き方は自己治癒力を低下させ、寿命を縮めます。」


動物も植物も、命あるものは、みんな生きようとします。

生命自ら破滅に向かうことはありません。

それは、生きていることが「心地いい」からです。

 

野生動物の弱肉強食の世界にあって、日常的に死の危険にさらされていても、それでも動物は誰も自暴自棄になったりしません。

みんなギリギリの生活の中でも、命をつなぎ、子孫を残し、生きようとします。

命を維持することは気持ちいいと感じるようにできているのです。


でも、結構、生きるって辛いことばかり、と思っている方、いらっしゃいませんか?


かつての私は、生きるって辛いことばかりだと思って生きていました。

「それでも辛い人生を生きていかなきゃいけない」「それが人間の宿命なんだ」みたいな、厳しく切ない人生観(笑)


当時の私は、まず自分の率直な欲求や感情を、全部否定して生きていました。

何か「したい」とか「したくない」という自分の率直な欲求に対して、

常に、そんなこと考えるなんて「間違ってる」「情けない」「怠けてる」「非常識だ」「失礼だ」「努力が足りない」「贅沢だ」「恥ずべきことだ」・・・

と常に自分にダメ出しをしながら生きていました。


今はそれが、自己治癒力を低下させる考え方だったということがよく分かります。

「身体の要求=自己治癒力を高める要求」に、常にダメ出しをして、頭の要求のみに従って生きていたのですから。

そして、常に身体は不定愁訴を抱え、常になんとなく調子が悪く、「生きていくって辛いなー、でも我慢しなきゃ」と思っていました。


今思うと、そうやって自分で自分を苛め、身体の要求を否定し、自分の生命力を低下させ続けた結果の集大成が、第一子のお産(すごい難産とその後の股関節痛)につながった気がします。(※「施術者プロフィール」参照)


まともに赤ちゃんの世話ができないほどに自分が追い詰められて、初めて、「自分の生き方は間違っていたのかもしれない」とおぼろげながら危機感を感じ、「なんとかしなければ」と行動することができたのだと思います。

もしこれが、わが子の世話に関わっていなくて、自分が辛いだけだったら、我慢していたかもしれません。

この股関節痛は、当時は地獄の苦しみと思っていましたが、やはり必要があって起こったことだと今は分かります。


そしてたどり着いた整体の世界と、

施術を受けて感じた、「生きているってこんなに気持ちいいんだ!」という感動。

多分、物心ついて以降、ずっと人生は辛いものだと思って生きてきた私が、初めて感じた感覚だったと思います。

その時、私は初めて、自分の自己治癒力を高めるスイッチを入れたのです。



現代社会の生活を送る中で、身体の要求を押さえつけて、かつての私ほどではないにせよ、多かれ少なかれ

 ・「生きている気持ちよさ」を忘れている方、

 ・「生きている気持ちよさ」を感じるスイッチの入れ方を忘れてしまった方

いらっしゃいませんか?


あるいは

 ・「○○したい」とか「したくない」という素直な欲求を否定して、

 ・「○○すべきだ」「しなければならない」という考えを優先してしまいがちな方

いらっしゃいませんか?


私のやっている整体は、「生きている気持ちよさ」を思い出すための整体です。

その方法は、身体の発している微細なサインを読み取り、身体が戻りたがっている方向へ戻れるよう、ちょっとしたきっかけを与えて、治っていくのを見届けるだけ。


押したりもんだりバキバキ鳴らしたりして、外部からの強い刺激で整える必要はありません。

なぜなら、身体には身体なりの理由・必要があって、現在の状態になっているのです。

ですから、身体自身が自分から治ろうとしなければ、結局はまた元の状態に戻ってしまうのです。

そして、身体が自分で自分を治す時に、必要以上の刺激はむしろ邪魔になるだけなのです。


私のすることはきっかけ作りにすぎなくて、身体を治していくのは、皆さんの持つ自己治癒力です。

「身体の要求=自己治癒力」が遠慮なく発揮された時の気持ちよさ、「生きている気持ちよさ」を、是非皆さんに深く味わって頂き、心身健やかな人生を取り戻して頂ければと願っております。