「整体処せせらぎ」の名前の由来
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
(鴨長明『方丈記』)
<現代語訳>
「川の流れは途絶えることはなく、しかもそこを流れる水は同じもとの水ではない。
川のよどみに浮かんでいる泡は、消えたり新しくできたりと、川にそのままの状態で長くとどまっている例はない。」
有名な『方丈記』の冒頭です。
学生時代に暗誦させられた方もいらっしゃると思います。
整体と『方丈記』に何の関係があるのか??
ぜひ最後までお読みいただければ幸いです(^ ^)
今日は私の整体院の名前「せせらぎ」の命名の由来をお話したいと思います。
私が身体について考える時に忘れないように心がけているのが、この『方丈記』の冒頭の一節です。
私は、身体を「流れる川」のようなものだととらえています。
数年前、まだ整体の勉強を本格的に始める前ですが、私の右足の甲に野球ボールくらいの範囲にわたって水が溜まってしまったのです。
よく膝に水が溜まるという話を聞いたことがありましたが、足の甲にも溜まるとは知りませんでした。
痛みはありませんでしたが、あまりに大きくて正座もできないし、靴も入らないし、見た目もギョっとする状態で、とても不便でした。
当時私は次男の産後で、妊娠中に浮腫みまくった水分が急速に排出されている時期でした。
(腎臓に先天的な持病のある私は、妊娠中に二人分の血液をろ過するには腎臓の能力に限界があり、どうしても浮腫みが酷くなってしまうのです。)
産後、浮腫みはどんどん改善されてきていましたが、多分、何か問題があって、右足だけが排出のサイクルの中に入れずに、甲の部分に水分が留まってしまったのだと思います。
インターネットで水が溜まる症状について調べると、どのサイトを見ても「整形外科で水を抜いてもらいましょう」と書いてありました。
また、「一度水が溜まった箇所は水が溜まりやすくなっており、一度抜いても繰り返し溜まることが多い」とも書いてありました。
一度抜いてもまた溜まるのに、水を抜くことに何の意味があるんだろう?
早速、疑問が頭をもたげてきました。
整体的に考えると、症状は、全て必要があって起こっています。
身体自身が「水を溜める必要がある」と判断して、せっせとその場所に水を溜めているのですから、その水を抜いたって、そりゃ、また溜まりますよね。
根本的な原因を解決し、水を溜める必要をなくさないことには。
西洋医学は、身体に溜まっている水を、コップに溜まった水のように見ていると感じます。
コップに溜まった水だったら、一度溜まった水は、捨てるまで同じ水です。
そして、一度コップの水を捨てたら、もう二度と水が溜まることはありません。
でも、身体はコップではなく、川のようなものです。
私の足の甲に溜まった水は、コップの水のように不変のものではありません。
そこで、『方丈記』の冒頭です。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
私の甲に溜まった水は常に同じもののように見えますが、実は常に循環しています。
もし循環していない箇所があったとすれば、そこは瞬く間に壊死してしまうはずです。
でもそうではない。
だから、水の溜まった私の甲には毎日新鮮な水分が新たに送り込まれ、古い水分と新陳代謝しているのです。
つまり、昨日の甲の水、今日の甲の水、明日の甲の水は、全て違う水だということです。
今日、甲の水を抜いても、明日の水は再び送り込まれてきます。
だから、甲の水をなくすためには、今甲に溜まった水を抜くのではなく、新たな水が送り込まれないように、上流にあるおおもとの原因を除去しなければなりません。
もしくは、水が送り込まれてきても、水が溜まらずにちゃんと排出できるようにしなければなりません。
おおもとの原因が解消し、水を溜める必要がなくなりさえすれば、新しい水は送り込まれなくなり、わざわざ整形外科で水を抜かなくても、水は溜まらなくなるはずなのです。
私は以上のように考えた上で、右足だけに水が溜まっていることに着目して、身体をなるべく左右均等に使うように心がけて生活してみることにしました。
例えば、横座り(正座を崩した座り方)、足を組む、特定の足から踏み出す、足のどちらかだけに体重をかけるなど、日常の動作の思いつく限りの左右差をなくすように意識してみたのです。
正直に言えば、整形外科に受診する前にちょっと悪あがきしてみよう、くらいの気持ちでやったことで、効果を確信していたわけではありませんでした。
ところが、なんと効果はてきめんでした!
翌日くらいから「少し水が少なくなってきたかなー」と感じ、5日くらいのうちに、甲の水はすっかりなくなってしまったのです!
水が溜まったことのはっきりしたメカニズムは私にも未だによく分かりません。
右足に歪みがあったのかもしれないし、右半身の血行が悪くなっていたのかもしれないし、気付かないうちに足の甲をケガしていたのかもしれない・・・。
私は、身体の使い方の左右差がおおもとの原因ではないかと推測し、左右差をなくすように心がけることで症状が消すことができました。
水が溜まるメカニズムは依然として分からないままですが、とにかく流れの上流や下流にあるおおもとの原因を取り除くことができたということです。
西洋医学だったら、万人共通とまでいかなくても、少なくとも一定の割合の人に効果があるというデータが取れない限り、この左右差解消というアプローチは使えないでしょう。
けれど整体の世界では、ある症状の原因が万人共通ということはあり得ないと考えます。
肩こりひとつとっても、その原因は、例えば頭の傾きや、足の歪み、骨盤の歪み、手の歪み、古傷の影響、内臓の病気など、千差万別なのです。
ですから、私は常に目の前にある身体に向き合い、その身体にとっての原因を探します。
だから、整体の立場ではこのアプローチでいいのです。
ご存知の通り、人間の身体はたくさんの細胞からできています。
そして、その細胞は日々古いものと新しいものが入れ替わり、新陳代謝しています。
主な箇所の代謝サイクルは以下のとおりです。
(年齢や体調により個人差はあります)
肌・髪では28日
血液では約4ヶ月
胃では約5日
筋肉・肝臓では2ヶ月
骨細胞では90日(3~5年で全ての骨の細胞が入れ替わります)
小腸では2日
毎日私達の身体では、1兆個の細胞が生まれ変わっています。
古い細胞が死に、その分新しい細胞が細胞分裂して補っています。
人間の身体は約60兆個の細胞からできていると言われていますから、一日1兆個の細胞が生まれ変わるということは、60日後には理論上はすべての細胞が入れ替わっていることになります。
理論上は、二か月後の身体は、今日の身体から全く新しく作り替えられているということです。
(実際には上記の代謝サイクルにより、身体の部位によって差はあります)
今、どこかに病気やケガや、強い症状があったとします。
でも、今日その症状を出している細胞と、数日後に症状を出している細胞は違う細胞です。
おおもとの原因が絶たれて、症状を出している細胞が細胞分裂することなく死に絶え、新しく生まれた細胞が健康であれば、病気は必ず治ります。
重い病気であっても、私の足の甲の水と同様、おおもとの原因を推測し、その推測に従って症状の上流や下流にあたる身体の使い方を改めれば、症状を生み出す必要はなくなるはずなのです。
逆に言えば、おおもとの原因を改めることなく、症状の出ている箇所に狙いを絞って、コップの中の水を相手にするような治療を試みても、根治はありえないということです。
人間の身体には、健康な身体を作る設計図が組み込まれています。
健康な身体を作る設計図さえ失われていない限り、上流や下流のおおもとの原因を絶てば、新しい健康な川の流れが、よどんだ病気のうたかたを洗い流すことは可能なのです。
私達の身体はコップの水ではなく、川の流れのようなものです。
単なる物体ではなく、常に生々流転する生命体です。
私達の身体という川が流れ続けるのは、川の流れこそが生きている限り続く生命の営みだからです。
せせらぎの整体は、いつも症状のある場所ではなく、症状の上流や下流にあるおおもとの原因を探り当て、おおもとにアプローチする整体です。
勘や当てずっぽうではなく、確実な根拠をもとに上流や下流のおおもとの原因にたどり着くことのできる、熟練の必要な技術を持っています。
「整体処せせらぎ」の名前には
・「小川の流れ=生々流転する身体」という視点を忘れないようにという意味と、
・日々新しく生まれ変わっていく生命そのものへの敬意の気持ち
を込めています(^ ^)
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